今週の謎

#26 2012年9月24日放送

今週のテーマ:「相撲」

相撲の歴史は古代に遡ることができ、その起源は豊作を祈る為の神事であり、死者の鎮魂を願う儀式であったとされています。日本の国技と呼ばれる「大相撲」。今のような形になったのは江戸時代のことだったのです。一体、江戸時代の相撲とはどのようなものだったのか?今回は江戸の相撲に関する謎解き!

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江戸のうんちく学

「すもう」という言葉は、「争う」、「抵抗する」を意味する「すまふ」に由来すると考えられています。『日本書紀』には、7月7日に、野見宿禰と当麻蹶速という力自慢が、垂仁(すいにん)天皇の前で相撲を取ったと記されています。7月といえば、稲の収穫前全国各地の農村でも、豊作を願う儀式として相撲がとられていました。奈良時代になると、天皇が宮中で相撲を観覧する「相撲節会(すまいのせちえ)」という儀式が始まります。平安時代には、朝廷の年中行事として制度化され、毎年7月7日に盛大に行われていました。平安後期、武士が台頭してくると、相撲は、武士の鍛錬の一つとなります。相撲好きの将軍や武将主催の相撲大会が開かれました。室町以降には、神社や寺の再建費用を募る興行「勧進相撲(かんじんずもう)」が盛んに行われるようになり、江戸後期、その中心が江戸へと移り、人気となります。倹約令で歌舞伎などが禁止されても武術として奨励されていた相撲は執り行われ庶民の貴重な娯楽となったのです。

江戸料理のあれこれ

「ちゃんこ鍋」

鶏を具材として使用することが多い「ちゃんこ鍋」。これは4本足の動物(牛や豚など)は「手を付く」=「負ける」という意味合いに対し、2本足で立つ鶏から縁起を担ぐという意味が込められています。肉も野菜も豊富にとることができ、調理が簡単な「ちゃんこ鍋」は力士にとって理想的な食事なのです。ちなみに相撲界で「ちゃんこ」とは力士が作る料理全般を指します。

おとな浮世絵コレクション

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