今週の謎

#152 2015年3月16日放送

今週のテーマ:
「元禄!武士の浮世日記~赤裸々な中身とは?」

商業が発展し、貨幣経済へと移り変わり、豊かな町人文化が花開いた元禄期。そんな泰平の世をつぶさに見つめ、あふれる好奇心のままに日記に綴った尾張藩の下級武士・朝日文左衛門。酒におぼれ、女と遊び、賭け事に興じるなど元禄を謳歌し、藩主一族のスキャンダルから市井の事件までを赤裸々に書き綴っている文左衛門の日記から、花の元禄の表と裏の顔に迫っていきます。

「今週のふれーず」
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江戸のうんちく学

江戸時代、家督を相続するのは家族内で済ませられることではなく、藩主への御目見が不可欠でした。主君と家臣の主従関係が確立するのは御目見の時だったからです。その手順はなかなか大変だったようで、まず父親の隠居願いを藩に提出し、受理されると御目見許可の連絡がくるのです。この日以降、御目見の衆たちは藩主の視線を浴びるために、城内の大腰掛で待機したり、行く先々に待ち受けて平伏する日々を送るようになります。文左衛門の『鸚鵡籠中記』には、何日待ち続けても藩主との御目見が叶わないために涙をほろりほろりと流す者もいた、とその苦しさが記されています。また御目見の衆たちのなかにも、自分よりも後に御目見活動を始めたにも関わらず、先を越されてしまう事もありました。文左衛門が無事に家督を相続できたのは御目見活動を始めてからなんと7か月が経ってからでした。家督相続のためには長い時間と根気が必要だったようです。

江戸あらかると

生類憐みの令

生類憐みの令

五代将軍・徳川綱吉が制定した殺生を禁じる法令である生類憐みの令ですが、文左衛門がいた尾張では江戸ほど厳しくはなかったようです。文左衛門は、綱吉の死とともに生類憐みの令が消滅するまでの間に、禁をおかして76回も漁場へ通いつめていました。藩庁は再三再四にわたって殺生は禁止だと布令を行っていましたが、あくまでも幕府の目を意識した建前であったため、大っぴらにしなければ魚釣りくらいの自由はあったのでした。

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江戸のススメテーマソング

「大河悠久」(アルバムTOGI より)演奏:東儀秀樹,古澤巌