今週の謎

#129 2014年9月29日放送

今週のテーマ:「遊び女の一生~花魁から夜鷹まで」

江戸幕府公認だった唯一の色町「吉原」。吉原の存在をも揺るがした、超人気遊女の正体とは?取り締まっても、雨後の筍のように現れた不法労働の遊女たち…何とかけそば1杯ほどの値段で春を売った遊女がいました。江戸時代の遊び女の謎を解き明かします。

「今週のふれーず」
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江戸のうんちく学

「湯女」とは、元々温泉客の垢すりや髪すきなどの世話をする女性のことでしたが、やがてサービスがエスカレートしていき、春を売り始めた遊女のことです。明暦の頃、江戸の湯女でアイドルのような存在だったのが「勝山」です。美貌と気立ての良さで人気を集め、客はみんな勝山に背中を流してもらいたいと順番待ちをし、のぼせてしまうほどの熱狂ぶりでした。勝山はファッションリーダーでもあり、いつも羽織っていた綿入りの防寒用の着物や、外出時に木刀を二本差しするスタイル、束ねた髪を曲げて輪にして白い元結いをした「勝山髷」などは、男たちの注目を集めました。江戸幕府が唯一公認していた遊郭・吉原に通っていた男たちまで勝山の元に通うようになったため、客が減ってしまった吉原は幕府に働きかけて、湯女を取り締まってもらいました。働く場所を失った勝山を始めとする湯女たちは、吉原で働くことになりましたが、勝山は吉原でも人気になり、最高位の「太夫」にまで上り詰めました。

江戸あらかると

妓楼「岩亀楼」の石灯籠

妓楼「岩亀楼」の石灯籠

安政六年 (1859) に幕府は横浜に外国人にも開かれた「港崎遊郭」を開設しました。そこで最も有名な妓楼が「岩亀楼」で、日本人向けと外国人向けの遊女を置いていました。しかし長い間鎖国下にあった当時の日本では外国人への馴染みがなく、さらに攘夷論の高まりにより外国人の相手を望む遊女はほとんどいませんでした。岩亀楼で人気のあった遊女・喜遊ものその一人です。ある日、彼女に会いたいという外国人がやってきますが、喜遊はそれを頑なに拒み、ついには自ら命を絶ってしまいました。現在、横浜公園に妓楼・岩亀楼の石灯籠が遺構として残されています。

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江戸のススメテーマソング

「大河悠久」(アルバムTOGI より)演奏:東儀秀樹,古澤巌