今週の謎

#112 2014年5月26日放送

今週のテーマ:「江戸の三大仇討ち」

赤穂事件を始め、江戸時代には数多くの仇討ちがありました。合法的に復讐するという仇討ちは、なぜ江戸時代に必要だったのか?そして、江戸の人々は仇討ちをどう見ていたのか?今回は種類の違う3つの仇討ちを検証しながら、仇討ちの裏にある社会背景を浮彫にしていきます。

「今週のふれーず」
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江戸のうんちく学

寛文12年2月3日に起きた「浄瑠璃坂の仇討ち」で奥平源八は、父の仇である奥平隼人を見事討ち取った後、自ら幕府に出頭し沙汰を受けました。徒党を組んで相手の屋敷に乗り込んで仇討ちを行ったことで死罪を検討されますが、この仇討ちの思いに感銘を受けた時の老中・井伊直澄が助命に尽力したことで、伊豆大島への流罪へと減刑になりました。流罪から6年後、恩赦を受けた源八は彦根藩井伊家の家臣に迎えられたのです。その後、講談や歌舞伎の題材となった浄瑠璃坂の仇討ちは「武士の範」として大変な人気となり、江戸で大評判となりました。この「浄瑠璃坂の仇討ち」は、それから31年後に起きる元禄赤穂事件の際に赤穂浪士たちが手本にしたとも言われています。討ち入りの際の人数がどちらも40人以上の大人数で行われていることや、揃いの火消装束を着用し火事を利用したと言われるなど、いくつもの共通点があるのです。

江戸あらかると

仇討ちの成功率

仇討ちの成功率

江戸時代に起きた仇討ちは現在確認できるもので129件あったと言われています。しかし、返り討ちにあってしまうことや、仇の居場所が分からず逃げ切られてしまう場合なども多くあったため、仇討ちの成功率は数パーセント未満だったと考えられています。記録されている最も長い期間を経ての仇討ち成功例は、嘉永6年に母の仇を討った「とませ」という女性でした。7歳の時に母を殺されたとませが、その仇を見事討ち取ったのは59歳になってから。実に53年にも及ぶ仇討ちだったのです。

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江戸のススメテーマソング

「大河悠久」(アルバムTOGI より)演奏:東儀秀樹,古澤巌