今週の謎

#9 2012年5月28日放送

テーマ:「蕎麦」

蕎麦は江戸の町で独自に発展し、ファストフードとして広く庶民に愛されました。現代に生きる私たちにもとっても身近な食べ物。そんな蕎麦の知られざる江戸の謎!なんと、蕎麦はもともとお菓子だった!?赤穂浪士は、蕎麦を食べてから吉良邸に討ちいったという話が?四十七士と蕎麦の意外な関係とは?ということで、今回は蕎麦にまつわる謎解き!

川柳
長くなる ものとは見えぬ 蕎麦の花
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江戸のうんちく学

日本の国民食とも言うべき蕎麦。現在のような麺状の蕎麦になって広く親しまれるようになったのは江戸時代の事です。江戸に初めて蕎麦屋が誕生したのは寛文4年(1664年)の事。吉原に「けんどんそば切り」という店が開業した事に始まります。(値段は、後に登場する二八そばの倍もする、30文という高値でした)享保年間(1716~36)になると、屋台売りの「二八」そばが登場します。この「二八」の意味は、現在ではつなぎに使う小麦粉と蕎麦粉の配合比率の事をいいます。しかし、当時はちょっと違っていたようです。その頃の蕎麦1人前の値段は16文。二八の数字をかけると2×8=16。「二八」は値段の事を言っていたらしいのです。江戸時代の浮世絵を見てみると、「二六」そばや、「三五」そばの看板を掲げたお店が散見されます。これらはそれぞれ、2×6=12文、3×5=15文だったと考えられています。

江戸料理のあれこれ

「蕎麦寿司」

今回は八百善の蕎麦寿司をご紹介します。八百善では、この蕎麦寿司は普通の寿司のようにメインディッシュではなく、少量で出す前菜のような位置付けの料理です。それにも関らず、蕎麦を打ち、海老をむしり、麺を茹でて酢でしめるなど数々の行程を経て、手間暇惜しまず作るこの料理はまさに江戸料理の真髄を表した逸品と言えるでしょう。効率ばかりを追い求めるこの現代で、このような料理を食するのもまた、粋なものかもしれません。

おとな浮世絵コレクション

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