今週の謎

#2 2012年4月9日放送

テーマ:「筍」

江戸時代に盛んに行われていた筍掘り。次々と出版された江戸の料理本にも、筍料理レシピが目白押し。江戸の筍フィーバー、そこには、ある男が仕掛けた驚きのプロモーション活動がありました。今回は「筍に秘められた江戸の謎」を解き明かします。

川柳
竹の子で しょくしゃう藪医 呼びに行き
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江戸のうんちく学

春の味覚、筍。現在よく食されているのは、中国原産の「孟宗竹」という種類の筍です。日本に入って来たの1736年のこと。薩摩藩4代藩主・島津吉貴が薩摩に持ち込んだのが始まりとされています。その孟宗竹を江戸の庶民に知らしめたのが、築地鉄砲洲で廻船問屋を営んでいた、山路治郎兵衛勝孝(やまじじろうべいかつたか)なる人物でした。山路は農業にも力を入れており、別宅のあった品川周辺の農家と共に孟宗竹の生産を始めます。そして、孟宗竹を広く庶民に知ってもらうべく、山路は3つの売り出し策を実行します。1つ目は、馬の背に乗せた竹籠に入れて目立つように市場へ出荷。2つ目は、当時の人気スポット、目黒不動尊の土産物店で販売。3つ目は、目黒不動尊の参道にある茶飯屋さんで、新メニュー「筍飯」を販売。これらの策が功を奏し、「目黒の筍」と呼ばれる程の人気商品に。現在まで通じる筍人気は、山路治郎兵衛勝孝という一人の商人のプロモーション活動によるものだったのです。

江戸料理のあれこれ

「卓袱そば」

円卓を囲み、大皿に盛られた料理を各々が取り分けて食べる卓袱料理。江戸時代初期に中国から長崎にもたらされたといわれています。今回作るのは、「卓袱そば」。古典落語の名作「時そば」に登場するのがこれです。筍、レンコン、ゴボウ、里芋などをごま油で炒めてあんかけに仕上げ、かけそばの上に盛りつけたもの。卓袱の本来の意味からはかけ離れていますが、ごま油を使って中華風に仕上げているこのそばは、江戸の庶民には卓袱と呼ばれて広く認知されていたのです。

おとな浮世絵コレクション

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